古い納経帳
大正5年、昭和3年の納経帳を目にすることがあったので今の納経との違いを紹介します。表紙の住所氏名は一部を残してぼかしました。ここ香川県西部地域では江戸時代から七ヶ所参りが定着していました。七ヶ所参りとは七十一番弥谷寺から七十七番道隆寺までの7ヶ寺を参拝することで八十八ヶ所全部を参拝した功徳と同じご利益にあずかることが出来るという参拝の仕方です。それもあったのでしょうか両帳面のそれぞれの持ち主も七十一番弥谷寺から打ち始めて七十番本山寺で終わっています。大正5年は約100年前、昭和3年は約90年前です。今のお遍路さんは一番から参りたがりますが当時は自宅の近くから参り始めるのが普通だったのかもしれません。そのころの遍路は歩きが普通と考えられますから、仮に一番から始めたいと思っても自宅から一番までの間に札所が有ればそこを飛ばすのは効率的ではないでしょう。札所の番号は仮のもので巡拝の順序を決めたものではありませんので番号にとらわれる必要はありません。
左が大正5年、右が昭和5年の曼荼羅寺の納経です。お分かりの通り大正5年は印版で、昭和3年は筆書きです。納経帳の印版は大正5年が23ヶ寺、昭和三年には15ヶ寺と減っています。
納経の文言では中心に本尊◯◯◯◯と書かれていますが現在では「本尊」の文字が種子(しゅじ)に変わっています。この時点で種子を書いている札所は大正5年帳では4ヶ寺、昭和3年帳では6ヶ寺で、種子が浸透するにはまだ時間がかかりそうです。次に左側の文言を見ると、大正5年印版では寺名の上に国の名前「讃州」が書かれていますが、昭和3年筆書きでは書かれていません。他の札所を見てみると筆書きになっても書く札所と書かない札所がありました。おそらく徐々に略されていったのでしょう。
曼荼羅寺の納経の中で現在と変わってないのが朱印です。番号印、本尊印、寺印全て現在のものと同じデザインです。ただし、他の札所の朱印に変化があるかないかは確認しておりません。
また、昭和3年の納経帳には全ての札所の御影が挟まれていました。お参りして納経を受けるというパターンは今と変わりがないということをこれらの納経帳を見て感じました。
古いものも初めてみる者にとっては新しいものであります。
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